日本映画界の宝・李相日監督の最新作『国宝』が公開されました!予告でキャッチコピーとされた「人生で観るべき圧巻の映画体験」という予告通り、あまりの傑作ぶりに劇中に何度も心が震えました。
李監督が吉田修一の小説を原作に映画を作るのは、『悪人』、『怒り』に続いて3作目となります。
『怒り』ぶりの吉田修一原作と聞いて、それだけでもう期待値ハンパじゃなかったです。何しろ邦画作品で一番好きなのが『怒り』だと言っても過言ではありません。
鑑賞して欲しいオススメ度も驚異の100%!!!全国民にオススメしたい映画です!
鑑賞オススメ点数・・・100点
あらすじ
後に国の宝となる男は、任侠の一門に生まれた。この世ならざる美しい顔をもつ喜久雄は、抗争によって父を亡くした後、上方歌舞伎の名門の当主・花井半二郎に引き取られ、歌舞伎の世界へ飛び込む。
そこで、半二郎の実の息子として、生まれながらに将来を約束された御曹司・俊介と出会う。正反対の血筋を受け継ぎ、生い立ちも才能も異なる二人。
ライバルとして互いに高め合い、芸に青春をささげていくのだが、多くの出会いと別れが、運命の歯車を大きく狂わせてゆく…(HPより抜粋)
以下、ネタバレ含みます。
(1)李相日監督の圧倒的密度の画作り
本作を観て最初に驚かされたのは、画面の密度がとにかく凝縮されていたことです。人物や美術、ロケ地が1ショット、1ショットで画面の中にギュッと詰め込まれているんですがくどくない、情報量は多いのにその全てが計算され尽くされた構図だから、ぐんぐん引き込まれる、その点で改めて映画を構成する画作りに対するこだわりが相当強いんだなと感じました。
カメラマンは今回初めて李組に参加するソフィアン・エル・ファニ。『アデル、ブルーは熱い色』でレズビアンのカップルを情熱的に収めたショットの数々が印象的でした。
ソフィアンのカメラが、喜久雄の冷静でありながら、同時に内側の情熱を併せ持った個性にピッタリと合い、『国宝』における芸術性を一気に高めたようでした。
『国宝』以外でも李監督作品に通じる素晴らしいところは、魂を抉るような劇伴とその絶妙なタイミングです。本作では音楽がかかるシーンが少なめで控えめではありましたが、歌舞伎独自の琴や笛、太鼓、着物の擦れる音、床を弾く音、観客の拍手など、環境音を巧みに使いながらも、感情が動くシーンではドラマティックな音楽がかかるので、観客の感情も爆発しやすいです。
日本映画はとにかく音楽が少ないので、観客の感情を揺さぶる場面が少ないのですが、李監督の効果的な劇伴は、観るものの感情を大きく揺さぶってくるところが魅力です。
また、メディアでのインタビューで驚いたのが、主演の吉沢亮と横浜流星は、1年近くの歳月を歌舞伎の稽古に費やしたと言います。1つの映画のためにそこまでするのかと、本当に驚いたし、それほどまでに恵まれた環境だからこそ、本作のような説得力のある歌舞伎が演じられたのだと、納得しました。
クラインクイン前に1年以上練習ができるって、恐らく日本映画でそこまでできる現場は他にないんじゃないですかね。ハリウッドレベルの事前練習量に驚愕しました。その努力の末に、現実の歌舞伎役者さえも唸らせた芸があるのですね。感服しました。

(2)役者としての到達点に登り始めた吉沢亮と追随する横浜流星
『国宝』の成功は間違いなく吉沢亮の存在があったからこそ。本作は今後数十年によって、吉沢亮の「代表作」と語られるポテンシャルのあるものだと思います。それほどの圧倒的演技でした。もはや演技を超えて、画面の中に喜久雄として存在するようでした。
李監督もインタビューで「吉沢亮がいなければ『国宝』の映画は撮れなかった。映画として立ち上がらなかった」と言わしめるほどです。
吉沢亮が放つ異質な存在感と儚げな雰囲気、そして何よりこの世の者とは思えぬ端正な顔立ち。これらの特性を持つ俳優が女形を演じつつ、任侠の世界から来たというフィクションだからこ成立するバックボーンに現実味を持たせています。
大河ドラマ『青天を衝け』を始めとした重厚な作品にも出始めている吉沢亮。『国宝』で今まで着実に演じてきた実力を全力で発揮し、今後何十年と渡って観客の記憶に残る、役者が抱える深い業を全力で体現しています。
人間国宝となった喜久雄が、ラストで演じる究極の歌舞伎「鷺娘」では、まるで本物の歌舞伎役者が憑依したような圧巻の表現で魅了されました。ラストでは私が観ていた劇場内は空気が静まり返り、観客の誰もが息をすることも躊躇っていたように思います。
彼のこれまでの集大成が詰まって、喜久雄という人間国宝がそこにいるんだと思わせられました。
そして、そんな吉沢亮に食らいついていくのが、親友であり歌舞伎一家に生まれた御曹司役の横浜流星です。劇中で一番感動したのは、喜久雄が花井半二郎の代役として出た「曽根崎心中」の完成された表現を観て、思わず劇場を飛び出して逃げてしまう俊介のシーンでした。
逃げ出した俊介を追いかけるのは、喜久雄が愛し結婚の約束まで交わした春江だったのです。
凄く人間味のある描写というか、喜久雄と愛しあっていたはずの春江が最後に寄り遂げるのは、親友の俊介という、人の感情は単純なものではないし、全てを手に入れることなどできないと、感じされました。
負けを味わってライバルの凄みに敗北を感じ、その場にいられなくなる感覚は、誰でも味わったことのある普遍的な感情だと思います。横浜流星の女形や、喜久雄とは対照的な情熱的でガッツある姿とその敗北もまた、心に深く残りました。
名実ともに、日本を代表する俳優になった吉沢亮と横浜流星。アイドル俳優からはとっくに抜け出した名俳優が魅せる、二人の次回作が楽しみで仕方ないです。
脇を固めるベテラン俳優陣もさすがすぎました!愛弟子二人の憧れでもある父を演じた渡辺謙。彼無くして、この映画もあり得なったのかなと思います。喜久雄と俊介が目指すべき姿の唯一無二の存在感がありました。
喜久雄たちから「化け物」と評価される女形で、人間国宝の小野川万菊を演じた田中泯の只者じゃない感も圧倒的でした。田中泯という俳優界の傑物がいるからこそ、喜久雄が目指すその極地がリアルなものになったのではないでしょうか。
田中泯の画面を通して見つめてくる視線が、五感のあらゆる箇所を刺激してきます。
渡辺謙、田中泯、いるだけで放つ圧倒的存在感が、ますます物語の説得性を増させたのだと思います。
(3)歌舞伎役者が背負う業。人間国宝が到達できる極致とは。
小説版では、様々な登場人物に焦点を当てた群像劇としてまとめ上げた超大作のようですが、映画1本で小説並みの深掘りは不可能です。原作にある極上のエッセンスを抽出し、映画として成立するものにするため、構成をまとめ上げたといいます。
ただの群像劇ではなく、喜久雄を中心として、喜久雄を通した歌舞伎とそれに関わる人々の物語へ焦点をずらすことによって、普遍的であり、芸術的な物語が完成したのだと思います。
脚本家の奥寺佐渡子を始めとした、その膨大な脚本構築作業を想像すると、本当にプロの人たちは凄いなぁと思ってしまいますよね。
では、3時間を超える喜久雄を中心としたこの歌舞伎界を描く群像劇では、一体何を描きたかったのか?そこを掘り下げてみたいと思います。
日本が誇る歌舞伎という、伝統芸能に色濃く残る血族だけで、脈々と引き継いでいく独自の文化。絶対に侵せない血統と歌舞伎の文化を乗り越えるには、生活の全てを捧げ、狂乱の世界に身を投じることができるのか、そして周囲の大切な人々を傷つけ、裏切り、到達する極みの姿に役者としての業が表現されています。
喜久雄が藤駒とその隠し子と久しぶりに再会したお祭りのシーンでは、この映画の核ともなる場面がありました。
喜久雄が神社でお参りしていると、娘は「神様に何のお願いをしたの?」と聞きます。喜久雄はすぐに「日本一の歌舞伎役者になるために悪魔と契約した。その為なら全てを捨てる」と実の娘に対して言い放ちます。
娘はどこまで理解できたのか、要は日本一になるために、君を切り捨てると宣言するようなものです。歌舞伎という閉ざされた世界で道を切り拓くには、悪魔になるしか方法がなかったのです。
このシーンが国宝の1つの中心となるテーマと感じています。人間国宝となった喜久雄はラストシーンで、小野川万菊が踊った「鷺娘」の演目を演じます。鷺娘のシーンでカットバックされるのは、喜久雄のインタビューに突如現れる藤駒との娘のシーン。
映画のクライマックスに、カットバックで表現されるほど、重要なテーマがこの父娘のシーンに存在します。
娘からは父親の機能を果たしてなかった、父と思ったことはないとかなり辛辣なことを言われます。散々父をこき下ろした後、娘は「でもあなたの演技を見たら自然と拍手していた」と父の演技を本能で認めてしまったことを告白します。
家族を捨て、悪魔と取引したことによって人間国宝として、日本一の歌舞伎役者となった喜久雄。血の滲むような努力と血筋がなくても這い上がる者として、人間国宝の歌舞伎役者とはそうでもしなければ手に入らない、強欲で圧倒的な覚悟を背負った者のみ、手が届く頂なのだと突きつけられたような気がします。
小野川万菊の死に際で、喜久雄が話す場面では、歌舞伎役者としての最高到達点に至った万菊から「ここには美しいものがないけど、それでいいのよ」と予想外の言葉が飛び出しました。
歌舞伎という何層にも重ね合わせてできる複合的で美しい身体芸術から見えるその先は、「何もない美」なのかもしれません。

まとめ
2025年に公開されたこの『国宝』、公開初週ですでに多くの人に拡がっている感覚があります。今まで裏側を知ることのできなかった禁断の歌舞伎の世界。喜久雄と俊介を中心に見せる役者としての凄みを知ることができました。
正に数年に一度の大傑作。観るもの全てを圧倒する磨き上げた映画体験を、一人でも多くの人ができると良いと願っています!
次の李相日監督の映画が楽しみすぎます!!

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