『セッション』で衝撃的なデビューを果たし、『ラ・ラ・ランド』で監督賞を受賞したデイミアン・チャゼル監督の最新作ということで公開前からずっと楽しみにしていた本作『バビロン』の考察感想を書いていきたいと思います。
そして毎回映画愛に溢れた作品を作るデイミアン・チャゼルが、1920年代の黄金期のハリウッドを舞台に、夢のような189分を映画ファンに届けてくれました。
一言でまとめると、最高です!下品な内容も多分に含むため、賛否両論、観客を選ぶのはしょうがないことだと思いつつ、こんなにぶっ飛んだエンタメ超大作もなかなか観られないので、この時代に生きることができて感謝です。
まさしく、劇場の大スクリーンで観てこそ楽しめる作品であり、家のテレビでは体験できないような興奮に誘ってくれる作品でした。 映画愛の強い監督ならではの物語は、やはり観ていて本当に楽しいし、こちらも安心して身を委ねられますね。
鑑賞オススメ点数・・・90点
あらすじ
1920年代のハリウッドは、すべての夢が叶う場所。サイレント映画の大スター、ジャック(ブラッド・ピット)は毎晩開かれる映画業界の豪華なパーティの主役だ。会場では大スターを夢見る、新人女優ネリー(マーゴット・ロビー)と、映画製作を夢見る青年マニー(ディエゴ・カルバ)が、運命的な出会いを果たし、心を通わせる。恐れ知らずで奔放なネリーは、特別な輝きで周囲を魅了し、スターへの道を駆け上がっていく。マニーもまた、ジャックの助手として映画界での一歩を踏み出す。しかし時は、サイレント映画からトーキーへと移り変わる激動の時代。映画界の革命は、大きな波となり、それぞれの運命を巻き込んでいく。果たして3人の夢が迎える結末は…?(公式HPより抜粋)
以下、ネタバレ含みます。
(1)爆発する映画愛。時代はサイレントからトーキーへ
冒頭でも書きましたが、デイミアン・チャゼルの変態性と溢れんばかりの映画愛が、スタート1分から、これでもかというほどにテンションMAXで盛り込まれていました。最初の20分くらいを費やして、セックス、ドラッグ、暴力、放尿、なんでもアリの狂っているけど、どこかハリウッドの憧れでもあるパーティシーンがひたすら続きました。
そのシーンがまずもう最高なんですが、この映画をR15で公開してくれた映倫もあっぱれですよね。
男性の性器の形をしたバランスホッピングに乗った小人が、亀頭から出る白い液体を観客にぶっかけるシーンとか最高に笑えましたね!(笑)
そしてスタートのハイテンションのまま全くダレる隙間もなく、3時間突き進みます。この3時間飽きない演出と構成力は本当にすごい。チャゼル監督が大事にしているジャズの力がここでも非常に重要な役割を果たしてくれています。
本作ではサイレントからトーキーへの移ろいが大きな背景とテーマになっていました。『バビロン』でも描かれていましたが、ゴールドラッシュの如く稼げたサイレント映画にも時代の変化で終焉を迎えます。トーキー映画に対応できなかった数多くの俳優やスタッフが、実際に職を失いました。
劇中でもネリーやジャックが喋り方をバカにされていたように、見た目のイメージとかけ離れた高い声で、喋った瞬間にスターのイメージを壊してしまうことが、あの時代のハリウッドではよくある話だったんですね。当然、発声が下手な俳優はその時点で、次の作品に呼ばれず、俳優という職を失い、時代の変化に淘汰されてしまいました。
サイレントからトーキーへの移行を描いた作品もたくさんハリウッドで作られ、その代表作が「雨に唄えば」だったわけです。もちろん本作でも「雨に唄えば」の影響をかなり受けているし、ラストでは「雨に唄えば」のシーンまで実際に使われていました。
なぜデイミアン・チャゼルが2023年にもなって過去のハリウッドの栄光と陰を描きたかったのか。それは単にこの時代のハリウッド全盛期が好きで好きでたまらないというのも大きいと思いますが、ラストの怒涛の映画史演出を考慮するに、現代の時代の移ろいである劇場映画からネット配信映画への移行に危機感を感じ、本作を製作するに至ったのではないかと考えています。
劇場からネットへ。
この強烈な危機感は映画人ならずとも感じており、『バビロン』製作の真のテーマを紐解くものになりそうです。この現代の時代の変革に関しては、最後の(4)でも詳しく触れていこうと思います。
(2)「何か、大きなものの一部になりたい」と願う若者の物語
『バビロン』の大きなテーマは(1)でも書いたように、サイレントからトーキー、そして劇場映画からネット配信映画による時代の変化にありますが、もう一つの重要なテーマとしてマニーが呟くセリフにあります。
それは冒頭のパーティのシーンでただの会場の雑用係だったマニーが、同じくまだ何者でもない女優の卵であるネリーと出会い、コカインを吸いながら「何か、大きなものの一部になりたい」と夢を語るところです。
この、「大きなもの」というのは「ハリウッド」のことで、マニーはハリウッドで働く一員になりたいという夢があることが分かります。そしてこの願望を叶えるべく、ジャック・コンラッドの助手から映画業界へのキャリアをスタートさせ、狂気の世界へのめり込んでいくのでした。
本作の語り部であるマニーの夢は、過去のチャゼル作品とも共通した願望の持ち主だということも分かります。
『セッション』の主人公・アンドリューと『ラ・ラ・ランド』の主人公・ミアもそうでした。アンドリューは偉大なドラマーになりたい。ミアは偉大な女優になりたい。ミアの願望は本作のネリーの願望にも通じるところです。
よって各映画の主人公たちは、全く同じ性質の「大きなものの一部になりたい」という夢があるのです。
三作共通して主人公に同じ願望があり、作品の根底に共通するテーマだとすると、デイミアン・チャゼル自身がその「大きなものの一部になりたい」という願望を持った映画監督だということが予想できます。
『セッション』を製作した時、チャゼルは29歳であり、『ラ・ラ・ランド』の製作時は31歳でした。あまりにも若くしてハリウッドの名声を欲しいままにしてきたのです。
そんなハリウッドが生んだ天才監督が38歳になった今、『バベル』でも同種のテーマを選択していることは、彼自身がハリウッドの夢に取り憑かれ、そこから逃げられないということを意味していますよね。
そして、過去作に比べ、より濃くハリウッドの世界を汚い部分も含め描ききったため、ある種ハリウッドという夢の世界に骨を埋める「覚悟」が本作でできたのだろうと思います。
(3)ネリー失踪の理由とは
終盤でネリーは裏社会のギャングとギャンブルを行い、多額の借金を背負ってしまいます。貯金の一切ないネリーは親友のマニーを頼ることに。すぐに用意した札束が偽札だったことがギャングにバレてしまい、マニーは命からがらギャングのアジトから抜け出し、ネリーとメキシコへ逃亡する計画を持ちかけるというトンデモ展開がありました。
そこで、ネリーのことを密かに思い続けいたマニーはプロポーズし、ネリーは快諾。二人は長年の友人関係を終わらせて結びつくはずだった・・という展開でしたが、車でマニーの帰りを待つ突如としてネリーは失踪してしまいます。
彼女の自由奔放な性格からあまり不思議な行動とも言えませんが、やはりその演出には意図があると確信しています。
ネリー・ラロイというキャラクターはサイレント映画時代最大のセックス・シンボルだった女優の「クララ・ボウ」をイメージしているとも言われています。ただ、それはあくまで様々な女優をミックスしたイメージの一人なので、ネリーの「バビロン」に対する役割は、マニーが切望する「重要な何かの一部」つまり「ハリウッドでの成功」を具現化したものだったのでないかと考えます。
冒頭のパーティでネリーと出会い夢を語るところからマニーの映画人生はスタートします。マニーの才覚により映画業界で順調にのしあがり、映画会社の重役にまでなりますが、事あるごとに、マニーの目の前には再びネリーが現れます。
ハリウッドの夢を掴みかけた時に、ネリーは登場し、またフッと姿を消すのです。
本作にとって、マニーにとって、ネリーの存在はただの女優以上の重要な役割があったわけです。
ネリーとの愛が結ばれた瞬間、それは儚く散り、夢は消えました。
マニーが追い求めていたハリウッドでの成功は、「ネリーとの結婚=ハリウッドでの成功」の消失と共に、そして、サイレントからトーキーへの時代の変化と共に、マニーの夢からこぼれ落ちていったことを意味します。
よって、ネリーの死ぬ間際の失踪は、なくてはならない演出だったわけです。
ハリウッドでの成功を諦めたマニーは、映画業界から去り、NYで新たな家族と新しい人生を始めるのです。
(4)映画史怒涛の振り返り。時代の変革は今こそ危機的である。
狂喜乱舞で突き進んできた本作でしたが、どこに帰着するのだろうと思っていたら想像を超えた素晴らしいラストが待っていました。
権利関係含めて許諾が大変だったと思いますが、こんな映画が観たかったよ!というまさかの展開。
これまでの100年の映画史の振り返りを行うように、映画史史上重要な作品の映像が一気にスクリーンに映し出されました。
映画の誕生を意味する『動く馬』から始まり、映画の始祖リュミエール兄弟の『ラ・シオタ駅への列車の到著』、『月世界旅行』、『イントレランス』、そして近代では『マトリックス』、『トロン』、『アバター』など、どれも映画の歴史を押し進めてきた、映画史にとって非常に重要な作品の数々が並べられました。
なぜ私が映画の変革をもたらす作品リストだとすぐにピンと来たかというと、学生時代に映画の授業で教わった映画の歴史における順番とまるっきり同じだったからです。どれも重要な作品だと教えられました。
久々にNYからロサンゼルスに戻り、劇場で『雨に唄えば』を観たネリーは、サイレントの完全な終わりと新時代の幕開けを見て泣かずにいられませんでした。
彼はハリウッドで夢のような世界を体験しながらも、最後は成功を逃し、愛したネリーを失ったのだから。
そして映画のラスト、劇場では老若男女、白人、黒人、アジア人、様々な人種の人間が1つの画面を本当に楽しそうに観上げているシーンが映し出されました。これはトーキーへの変革と同じことが現代でも行われているというチャゼルからのメッセージに他なりません。
劇場で見上げる様々な人間を最後に映した理由、それは劇場映画からネット配信映画への移り変わりを示唆していて、トーキーの到来でサイレントの人間が絶滅したように、配信映画の到来で劇場体験の終焉を恐れたチャゼルからの危機的メッセージなのです。
【映画の時代による変遷】
サイレントからトーキー
⇨モノクロからカラー
⇨アナログ撮影からデジタル撮影
⇨デジタル撮影からCGによる精密な映像革命
⇨劇場型映画からネット配信映画
サイレントの滅亡と共に職を無くした人がたくさんいたように、配信映画が主流になっていくと、街から映画館は消滅し劇場スタッフも職を失います。事実、コロナ禍によって潰れた映画館はたくさんあります。日本でもいくつもの映画館が運営できなくなり、人知れず潰れています。
大手配給会社は配信でもかろうじて生き残るでしょうが、中には配信全盛期に迎合できず、潰れる会社も出てくるでしょう。
そんな危機感と重ね合わせた映画が『バビロン』だったのではないでしょうか。
デイミアン・チャゼルは、劇場で映画を観ることにこだわり、みんなで一つのスクリーンを観ることこそが、映画たらしめる唯一の体験なのだと、訴えているように感じました。
まとめ
このような3時間のノンストップ・ジェットコースター型エンタメ超大作を久々に観ることができて幸せでした。
そして、それを配信ではなく、ちゃんと私たちが好きな大きな映画館で観ることができて本当に良かったと思います。
デイミアン・チャゼルやハリウッドの巨匠たちが揃って配信映画の危機感を口にするように、映画の都では、日本以上に変革の危機感が募っているのかも知れませんね。
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