映画「アバター」 ネタバレ考察感想 侵略か共存か、人間は同じ過ちを何度も繰り返す

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アバターシリーズ2作目となる「アバター:ウェイ・オブ・ウォーター」を控え、「アバター:ジェームズ・キャメロン 3Dリマスター」が、2週間限定上映で始まっていたので、この機会に1作目を観直すべく行ってまいりました!

「アバター」は2009年の公開当時に鑑賞して以来、13年ぶり二度目の鑑賞となります。久々に観て、こんな深みのある物語だったかと驚いたし、何より映像の美しさが13年経っても全く色あせてないことに驚愕しました。13年前に本作が製作されていたとは・・キャメロン監督恐るべしです。。

基本的な情報ではありますが、「アバター」を監督しているジェームズ・キャメロン監督とは、過去に「ターミネーター」、「エイリアン2」、「タイタニック」等の作品を手がけたハリウッドの巨匠中の巨匠監督です。
言わずと知れた名作「タイタニック」は12年間世界興収不動の1位を確立させていましたが、その記録を自ら破り「アバター」で興収を塗り替えるという、前人未到の記録を達成した本物の天才監督です。
その後「アベンジャーズ/エンドゲーム」で記録が抜かれるまで10年間1位の座を守り抜きました。しかし、現在は「アバター」の再上映によって再び1位に返り咲いています。

こんな凄すぎる記録を持つ「アバター」、何がそこまで人々を鑑賞に駆り立てるのか、考察と感想を書いていきたいと思います!

あらすじ

戦争で下半身不随となり、車椅子生活を送っていた元海兵隊員のジェイクは、「アバター・プロジェクト」に呼ばれ、惑星パンドラへ行く。地球から遙か彼方にある惑星パンドラで、希少鉱物を採掘する事業を目的とした任務だった。人体に有害なパンドラの環境下で過ごせるよう、先住民と人間のDNAをかけ合わせた肉体・アバターが作られ、ジェイクはアバターを遠隔操作しながら思い通りに体を動かす自由を得る。神秘的な光景が広がるパンドラの森の中、ジェイクは偶然、先住民ナヴィの美しい女性・ネイティリと出会う。
ジェイクはナヴィ達の文化を学んでいくうちに、共存を夢に見るが、非情にも地球人からの侵略が始まってしまい避けられない戦争へと突入していく。

以下、ネタバレ含みます。

(1)下半身付随の退役軍人からパンドラを救うヒーローへ

「アバター」を語る上で最も重要なのは、人間の行いがいかに他者と自然に残酷かという作品が持つ本質的なテーマです。ですが、そのテーマは(2)で後述するとして、キャメロン監督が描きたかったのは、主人公の成長物語であるというところに焦点を当てたいと思います。

主人公のジェイクが下半身付随の設定で登場するところに、かなり意味があると思います。普通に五体満足の人間を主人公にする方が物語としてはシンプルになりますからね。わざわざ下半身付随の描写を取り入れてまで、その設定を採用したのはなぜか。

キャメロン作品にとって、下半身の欠落というのは、しばしば描かれてきたモチーフなのです。

「ターミネーター2」ではターミネーターが火の中に沈む時、下半身から徐々に沈み、サムズアップだけが最後に残りました。また、「タイタニック」では船が沈んでジャックが甲板の破片にしがみついている際、下半身は海に浸かり凍傷し既に体は機能していませんでした。

元軍人という経歴でありながら、下半身付随で車椅子生活を強いられているジェイク。彼の冒頭のセリフからも分かる様に軍人としてのキャリアを終え、軍人年金で暮らしていることが示唆されます。足が不自由なことで仕事と生活は厳しく、ジェイクは失った自信を取り戻し、活躍できる場を探していたのです。

そんな矢先、兄の死によってアバタープロジェクトに参加し、アバターとリンクすることで、足を以前の様に自由に動かすことができるようになりました。自由に走り回れる環境と職場に、ジェイクは天職のような感覚を得たのでしょう。実際初めて研究所でアバターとリンクした時は、人の言うことを聞かずに興奮して走り回っていました。

アバターとしての生活を続け、体を使いこなすことで徐々に自信を取り戻していることがジェイクの表情からも分かります。

映画における表象では、男性が下半身付随だった場合、男性性の欠落を意味することが多いです。自由自在に走り回り、ナヴィのハンターとして一人前になっていくことで、ジェイクは男性としての自信を取り戻していきます。

軍の仲間だけではなく、ナヴィたちと行動を共にすることで、徐々にネイティリや部族の信頼も勝ち取っていきます。そして、ネイティリと男女の仲として結ばれることで、ジェイクは男性としての自信を完全に復活させることに成功しました。

人間の侵略によって、ジェイクはナヴィ達から信頼を一時的に失ってしまいますが、パンドラの存続が危機に陥った時、空の覇者トルクを手懐けナヴィ達の信頼を再び勝ち取り、ジェイクは本当のヒーローになるのです。

最初は自暴自棄気味だったキャラクターとして描かれたジェイクは、他者を思いやり一族を動かすほどの人間として、内面での成長を遂げていきます。
キャメロン作品において、男性性を取り戻しヒーローになっていく過程は、とても重要なものとして描かれているのです。

ナヴィ立ち退きの任務を成功させれば、現実世界での足の治療を約束するという、クォーリッチュ大佐のセリフが度々出てきます。ジェイクがナヴィを立ち退かせるか、人間と対立するか最後まで判断を悩ませた理由も「下半身の修復」の希望によるものでした。

ジェイクにとって、これまでのように自由に動き回るという行為は、それほど重要なことだったのです。

キャメロン監督は下半身付随で社会で何の役にも立てない人間を、本物のヒーローへと成長させることが狙いだったはずです。

(2)SF作品を通して人類へ警鐘を鳴らす。侵略か共存か

優れたSFの語り手は、物語を通して人類への警鐘をうまく隠して、メッセージを送る場合が多いです。その最たる例はスティーブン・スピルバーグ監督でした。彼はSF作品を作る際、単なるファンタジーに見せかけ、その実、深いメッセージと観客への問いを必ず内包し、描き続けてきた映画作家でもあります。

「アバター」も同じで、人類は欲しいものを奪うために、侵略と略奪を繰り返してきた生き物です。アメリカはインディアンという先住民族からアメリカ大陸を奪い、急速な発展を遂げた国としての歴史があります。アメリカ人には、侵略の上に自国が成り立っている事実、歴史があることのコンプレックスがあるのです。

さらに2022年の今、本作のパンドラ侵略の映像を観ると、ウクライナ戦争の中で日々の報道やSNSで観てきた映像がフラッシュバックしました。2009年公開当時に抱いたファンタジーでどこか遠くのおとぎ話のような物語は、全く他人事ではない出来事になってしまいました。

パンドラの希少鉱物欲しさに、パンドラを侵略しナヴィを虐殺している人間は、まさにウクライナに侵攻したロシアの姿に重なります。

パンドラが密林という風景を選んだのも視覚的な要素と神秘性を高める以外にも、理由があったのではないかと考えています。視界の悪い中、最新の爆撃機を搭載し一方的に攻撃する様子は、ベトナム戦争そのもののように思えました。
アメリカが見下した発展途上国の外国人は、ナヴィの存在と被ります。

当初ベトナム戦争のアメリカ参戦は、数ヶ月で終わると思われていましたが、大方の予想を遥かに裏切り終結までに10年近くがかってしまい、莫大な予算を使ってしまいました。アメリカの歴史上、反戦世論も高まり大失敗に終わった戦争として認知されています。

今回の「アバター」内で起こる戦争でも、最新鋭の武器を使えばすぐに決着できると思っていた人間側でしたが、予想以上にナヴィの戦士たちや生物が応戦したため、あっけなく敗北に終わっています。

しかもナヴィの肌は青く、言語も違います。アメリカから観てナヴィは「外国人」という位置付けなのです。話の通じない相手は排斥し、略奪する。それが、アメリカが行ってきたことであり、世界の強国が侵してきたことなのです。

キャメロン監督は「アバター」を通して、繰り返す悲惨な歴史に終止符を打つよう、批判とメッセージをSFという構造に隠しました。

人間の略奪は失敗し、ラストでジェイクは完全にナヴィの1人になることを選択しました。異文化を理解し、触れることで新しい世界を広げたのです。

鉱物開発責任者であるパーカーが「まだ終わってないからな」という捨て台詞を最後に吐くことで、次回作への布石を打っていますが、ジェイクがナヴィを理解したように、まだ人類にも希望はあるとキャメロン監督は訴えているのだと感じます。

(3)2009年の映像革命。キャメロンの偉大な功績

今回、改めてIMAX3Dで「アバター」を観ましたが、今年公開された映画作品となんら遜色ない映像美に惚れ惚れとしました。最近でもIMAXで他の作品を観ていますが、現代映画と何も変わらない映像美でした。
これが13年前に公開されたとは思えない美しさとクオリティの高さ。

当時3D映像といえば、遊園地や子供映画で上映される「飛び出す映像」としての位置付けだったことを、とても良く覚えています。まして大人向け映画で3Dの作品は存在しませんでした。「アバター」って3Dで観るのが基本らしいよ、そんなことを言われた時には誰もが映像のクオリティに半信半疑でした。

しかし、3Dで観てみると、それまでの「飛び出す映像」から「そこにキャラクターやパンドラがある」という表現が正しい映像が広がっていました。

世界中の固定観念を壊し、大人向け映画で3D映画という新たなジャンルを確立させたのはキャメロン監督なのです。「アバター」の凄さとは、新しい映画文化を作り出したという意味で、本作の功績はその他の映画とは一線を画します。

さらに、3D映画の追加料金という、映画ビジネスの料金体系すらも変えてしまいました。それまでは統一された映画料金でしたが、追加料金システムを導入することで、映画興行の新たなビジネスの一助となったのです。

実際、「アバター」は3Dの別料金も相まってあっという間に世界興行1位を当時確立しています。そのニュースの衝撃は今でも忘れられません。

さらに、SF作品において、地球以外の惑星で他の異星人と交流をする映画や小説は数多ありますが、ここまで神秘性と具体性を持ってビジュアル化させた作品はキャメロン監督が初めてなんじゃないでしょうか。
普通の人間なら妄想で終わってしまうようなところを、キャメロン監督は莫大な予算と気が遠くなる年月をかけて全てをビジュアル化させています。その突き詰めたアーティスト性とパワーは想像を絶するものがありますよね。
「アバター」は2作目以降、第5作まで全てを一気に撮影していると言われているので、スターウォーズシリーズの様な完璧な世界観を、これからもキャメロン監督は突き詰めていくのだと思います。

マーベルのようなシリーズ作品ではなく、単独作品で異世界のビジュアル化、IMAX上映の常識化、これらの偉業をたった一人でやってのけた。映画文化をも作り変えてしまったキャメロン監督の功績は、ここにあると思っています。

まとめ

遂に年末公開される「アバター:ウェイ・オブ・ウォーター」での更なる映像技術の飛躍を観るのが楽しみで仕方ありません。今回の3Dリマスター版では、エンドロール中に数分の次回作の特別映像が上映されます。
そこに映し出される海の美しさたるや。ナヴィと一緒に海に潜っているような感覚になりました。

次回作も絶対にIMAX3Dで観たいところですが、座席の争奪戦がヤバそうです(笑)

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